命は尊い。
この世界で命は一番大事なものだ。
小学校でそう教えられた。
――それではなぜ、人は死ぬのだろう?
小学校で教えられたことが腑に落ちなかった。
中学生時代、高校生時代、生きることに耐えられない状況に遭遇した。
苦しかった。
――なぜ僕は生きなければならないのだろう?
命は尊い。
そんな価値観が僕の邪魔をした。
――確実に失われることが決定づけられている命に、果たして価値があるのだろうか?
僕は生きる理由を欲した。
教科書の中の思想家は僕の求める答えを与えてはくれない。
傲慢にも、そう思った。
思想家の思想には「仮定」が多すぎる。
答えが無いのなら創ってやればいい。
生きる理由を自分で見つけようと思った。
思想を創り出そうと思った。
そのために、僕は絶対的な軸を欲した。
――科学だ。
客観的な事実から、なるべく仮定を回避する。
自然科学の中で物理学が最も再現性が高いように思われた。
僕は物理学を専攻することにした。
――物理学から「なぜ生きるのか」という思想を導く。
科学と哲学を融合させる。
それを自分が生きる目的にしようとした。
最初、物理学から思想を直接的に導出しようとした。
しかし、物理学だけでは足りないと感じるようになった。
生物学の知識も必要だ。
物理学の階層と人類の階層との間に生物学の階層を挟むこととした。
それでもまだ足りない。
人類の階層では、歴史および法律の知見が必要であると感じた。
歴史および法律は、科学ではない。
歴史は勝者によって書き換えられる。
法律は国によって異なる。
歴史も法律も普遍的なものではないのだ。
しかし、本質的な部分には法則性があるだろう。
こうして、物質階層、生命階層、人類階層の三つの階層から生き方を導くというアプローチ方法を採用することにした。
これが現在の認識だ。
入力
物質階層 (物理学、化学)
生命階層 (生物学、化学)
人類階層 (脳科学、行動遺伝学、(歴史)、(法律)…)
出力
人類階層 (思想)
生物にできることは2つだけである。
(1)生きること
(2)子孫を残すこと
淘汰されずに残った子孫は繁栄し、進化する。
個人ができることは、その時代を生き、次の世代に何かを託すことである。
僕らは受け取っているはずなんだ。
過去からのバトンを。
それを未来に渡したい。